ちいちゃんの昔話

忘れたらだめ

ヘルパーさんと書類の整理。

一時間、見る見るうちにすっきりと整う。

合間を縫って資料に目をやれば原稿が・・・・

今とかなり違う生活環境。

脳細胞は嫌はこと、つらいことを整理、忘れることもしてくれているらしい。

でも、ちいちゃんの生活、わすれられない、忘れたらだめは部分を思い出させてくれた、資料。

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一番幸せなとき

「ひまわり」1999年5月第57号より 

 五月連休の天候は晴天が続き、気持ちのよい日、どこか遊びに行く予定でも立てて置くべきだったとちょっぴり反省…。部屋にいても春の陽差しを充分感じる。天候がよいと普段の嫌なことも忘れ、心も少しはなごむ。

 日々の生活、様々な人に会うことで、ことばや態度で相手を傷つけたり傷つけられたりして相手に抗議することも1,2回ではない。自分自身、皆さんに助けられて生かされている身だから、抗議・要求などとんでもない。気持ちよく関わってゆきたい。しかし、トラブルが起きる度、私の心が痛む。トラブルを起こすことは私自身不本意だから。

 先日、急にお腹が痛くなり、苦しくなってきた。介助者もいるし、トイレをすることにした。ところが、楽に考えていた排便が30分もかかってしまい、後半の介助に影響し、介助者の帰る時間に間に合わなくなり10分程遅れた。その時介助者が「心配しなくてもいいよ。だって仕方がないんだから。」「…。」「気持ち悪いだろ。」優しく声をかけ、私の不安(時間をオーバーすることなど)を払拭してくれた。

 私自身、無事に終わりほっとするとともに、胸をなで下ろし、よかったと思い安堵した。本来、人が生きるために重要なことである【食べる・寝る・出す】の1つをすることが出来た。しかし、以前、排便に関してトラブルがあって、福祉サービスを受けるには様々な制約がある。安心して排便出来ない状況があったために、「誰が何を言おうと知らない。出してしまえばこちらのもの。ヤリも鉄砲も恐くない。」などと言ってしまうことがある。身体が不自由でなければ一人でトイレに行き、用を足す。そこには制約を受けないし、何のためらいや遠慮はしないはず。

 私はいつもためらいや遠慮の中で介助者を誰に頼もうか、頼んで断れるのではないかと不安を抱えながら頼んでみる。「いいよ。」と快く引き受けてもらえると本当に嬉しい。この嬉しさは介助者には分かりにくいと思う。「いいよ。」「手伝うよ。」「よかったね。」「仕方がない。」と言って手伝ってもらえたときの嬉しさは、何にも代えがたい幸せなのです。

 今の幸せは無事に食事が出来、スムーズに排便することが出来て、無事に寝ることが出来ることです。

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当たり前の生活環境のお手伝いしたい。

特別でなく、

当たり前に。

自分が経験したからこそ、

つらかったからこそ、

悲しかったからこそ、

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小柴 千鶴

えがお株式会社代表取締役、NPO法人夢ハウス理事長。 27歳のとき進行性筋ジストロフィー発症との診断を受ける。 さまざまな困難を乗り越えながら「ITであれば障害者でも仕事ができる」と思いたち「小規模作業所夢ハウス」をスタート。

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