ちいちゃんの昔話

懐かしくもあり

 
やっぱり私らしく   
   「ひまわり」19991月第53号より  
 
    私は筋ジス一級障害者で一人暮らしだが、日常生活の中で人と話し、聞き、物を見ることもできる。有り難いことです。しかし、寝返り、トイレ、大きい物をもつこと、歩くことができない。かろうじてフォークを使って自力で食事ができる。ペンを持てるから字も書くことができる。こんな私は周りの人が見れば五体満足とはいえないかも知れないが、私はさして不自由だと感じもしない。
 
 今では、障害者になって、決して悪いことばかりではないことがわかる。障害を持っていなかった時にはわからなかったことがわかり、様々なことが見えることが多い。だから充分幸せも感じられる。その反面、自分でできないことで周りの人に理解されず差別を受けたり、生活上支障をきたすことも多い。そのことは身体的障害の悩みや苦痛よりも、それ以外の精神的な重圧の方がことばに表すことができないほど大きい。
 
 そのようなこともあり、自分でその場の状況を見極めて、周りの人にこと細かく正確に自分の意志を伝えるように努力している。にも関わらず、なぜか?トラブル続出…。私は時として「ここ日本なのに日本語が通じない…。」と嘆く。日々、ことばと格闘。
 
 細かいことを言う、うるさい人と言われてもよい。正しく、自分の意志を伝えたい。私の人生、私らしく生きる折りにふれ、できることがあって嬉しいと思う。生きている幸せも感じる日々だから…。
 
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懐かしい言葉の一つ、一つ
 
今も続く一つ一つことが
 
走馬灯のように・・・・・
 
 
それも幸せの表れか。
 
 
 
 
 
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小柴 千鶴

えがお株式会社代表取締役、NPO法人夢ハウス理事長。 27歳のとき進行性筋ジストロフィー発症との診断を受ける。 さまざまな困難を乗り越えながら「ITであれば障害者でも仕事ができる」と思いたち「小規模作業所夢ハウス」をスタート。

  1. 人脈繋がり強

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