ちいちゃんの昔話

春山さんへの手紙

春山満(59歳)                ・人生最大の不運から生き抜こう
春山満(59歳)    ・人生最大の不運から生き抜こう
春山満さんは介護医療のコンサルテイングやオリジナル商品の開発や販売などを経営している会社です
父親の借金を抱えながら、不動産業を始めた24歳の時に手足の冷えを感じるようになり、26歳で難病の進行性筋ジストロフィーの診断をうけました
難病が解ってからも、必死で働き、借金を返済し、不動産業が軌道に乗るまで4年を要しました
33歳で日本初の福祉デパートを大阪に開き、その3年後 昭和66年に37歳の時に現在の会社を設立、福祉医療の事業を積極的に展開してきました
独自の視点と着眼で数々のヒット商品を生み出してきました
進行性筋ジストロフィーを抱えながら、介護医療に尽力してきた春山さんに人生哲学を伺います
介護福祉ビジネスを開始して22年に成る
望まれていながら提供されていない そう商品を出そうと、解決した要素は本当に新しいお客様の喜びに替わったら適正な高価格でも、受け入れられると、利益と言うものを本当に大事に考えて来ました
(国の補助、国の政策に左右されないで独立独歩で生きて行こうと想えば 健全な利益は非常に重要です  ですから利益の無い商品は開発しない)
24歳まで全く元気だった 想像もしていなかった スポーツが好きでやんちゃだった
スキーが大好きだったが、或る時、手足が冷たくなる どうも走り方がおかしく、脱力感が有る
25,26歳 でどんどんおかしくなってゆく  病院で検査を受けて進行性筋ジストロフィーと言う難病と判る
先生が病名、症状を説明してくれた  日本でも発症例が珍しいと言われる
手足先の運動細胞だけを、全部中心に向かって崩壊させてゆく特殊なタイプだと言われた
この細胞破壊は現代医学では原因、治療、すら解っていない難病中の難病だと言われた
運動すればするほど、細胞の破壊は進行しますと、寝ていれば体力の減退でこれも破壊をは止めませんと、運動しても駄目、寝て休んでも駄目 どうすれば良いんだと聞いたら、今日で来たことを出来るだけ、明日も続けてくださいと、但し 進行に従ってどんどん機能は奪われます
呼吸と心臓の停止まで進行は止まりませんと言われて、流石に呆然とする
車椅子になることも覚悟してくださいと、車いすも永くは続かないとやがて手も動けなくなって寝がえりもできなくなるかも知れませんと言われた
其の時に病気のことを考えていなかった  どうやって生きて行こうかと考えた
22歳の時に父親が倒産して、借金取りが来て、家の査定をして、おろおろ泣く父母親 莫大な借金を残して、小さなアパートに越してきた 
24歳の時に野心と夢だけを持ってガード下の1室を借りて不動産業をスタートしたばっかりだった
頼れるところがなかった 
父母は同情して守ってくれると思ったが、父親はあーっととんでもない悲痛な顔をして、母親は何でお前は、と泣いて (父親と母親のの時の事は忘れません)
この時に決めた 俺は絶対泣くまいと 後ろを向いたら絶望だけですから  開き直った
俺が車椅子になるのなら、その前に車椅子を押してくれる社員を雇えば良いんだなと
絶望だけれど、僕の手の代わりをして、会社と言うチームが作れればいいんだなと発想を変えた
時間との戦いだと、車椅子になる前に後何年或るか判らないが、たどり着かないといけないと
前だけを見て、医療界と病院という社会と決別しました
 
 
 
 
久しぶりのお手紙 よかったかな
 
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小柴 千鶴

えがお株式会社代表取締役、NPO法人夢ハウス理事長。 27歳のとき進行性筋ジストロフィー発症との診断を受ける。 さまざまな困難を乗り越えながら「ITであれば障害者でも仕事ができる」と思いたち「小規模作業所夢ハウス」をスタート。

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