25年前になるだろうか、夫婦で隔離されたような生活環境、
歳をとる、障害を抱えると環境がどのようなものか想像たりできなかった。
現実、自分自身そのような立場に置かれてみると、
歩けないと動けない、動ないとすべてにわたり制約がでる。
トイレに行きたくても行けない。いけないということは・・・・・
そばにトイレを準備しても立てない。
トイレをしたとしても始末さえもできない
手が動かせない、動かせないということは食事も自分でできない。
喉が渇いても水すら飲むことすらできない。
それらは、元気であれば何のためらいや遠慮もなく、あたりまえに行い済ますことである。
それらを失い、環境は今までとは一転してしまう。
孤独、疎外感から、社会や家族への思いも大きく違い始め、
なんでやぁ・・・・・・
今までのすべで消えてしまった。
社会からはじき出された感じ、その怖さ、それまで味わったことのない恐怖感であった。
その環境を冷静にとらえれば、入ったことはないが、刑務所とはこのようなものように感じた。
その様な中、悶々としていたところ、テレビで、新聞でも心をなだめるものにならなかった。
忘れもしない任侠映画を三本借りてみた。
最近、気づかされる、なぜ、任侠映画なのであったか?
喧嘩や争いが嫌い怖いことから、身を細めてしまう。
だから、任侠映画を見るわけが考えにくい。
でも、その当時、テレビで志村けんの馬鹿殿を観て、夫婦で笑ってしまった。
笑うことまでも忘れていことに気付く、
その後、数年そのテレビを見ていた。
なにか、気持ちが吹っ切れるようなものがあったのだと思う。
その気持ち、今は薄れ・・・・。