テレビで俳句。題が「コスモス」。
秋、コスモスを写真やテレビで観るたび、なぜか寂しい辛い思い出が思い浮かぶ。
7歳であろうか、頭の中に残っている、裏庭のコスモス。
いつまで経っても消えないコスモス。
夏休みも終わろうというとき、親に連れられ大阪へ行き、それは遊びに行くが
ごとく楽しい旅行。
5日程度で帰ってくるであろうつもりで行った大阪。
その当時蒸気機関車で8時間。
12時に出て大阪に着いたら真っ暗。
でも大阪はネオンサインがいっぱい。
田舎から出た私はそのネオンサインに驚きびっくり。
その日は道頓堀の旅館に。
あくる日目を覚まし、旅館の窓から見ると道頓堀が「汚っ!」
昨夜の光景と打って変わり汚い道頓堀川。
子どもながらに強烈に驚く。
母の予定は狂ったらしく、立派な旅館から泊まるところも代わり、
今で言うビジネス旅館に移った。
それから何週間、もしくは1、2ヶ月経っただろうか。
百貨店の玄関ホールは暖が流れ暖かい。
大阪に出て寒くなり夏服で震えている私を、母は百貨店の入り口に連れて行き、
時を過ごした。
体も心も寒かったことを思い出す。
旅は以前として洋服も着たきり雀、食事も一日一食、食堂で卵焼きとみそ汁。
そのとき食べた味は、今もって忘れられない味。
その味、その体験が今の糧となっているのか。
なにわにいっぱい咲いていたコスモスの光景と重なってしまう。
テレビのコスモスから一瞬にして昔に戻り、悲しくもあり、今の幸せと
重ね合わしほろ苦い思い出。
だから今の私があるのか。
このブログ話した言葉を打ってもらう。
スムーズなときと打つ場面とが違えばぎくしゃくぎくしゃく。
まあそれもいいか。