ちいちゃんの昔話

嬉しさとなるほどと思う複雑な気持ちの日記

昨日は昼からもう少しファイルを整理したいと手を入れる。
 
何百かある原稿、ファイルもたらない、バインダーもたらない、
 
半分もファイリングできなかった。
 
 
かたづけて頂きながらどんな事を書いていたんだろうと思い読んでもらう。
 
 
 
 
1996.9.8
二、三日前の天気はウソのような良い天気、
 
空はどこまでも青く、身体に差す陽は夏の日差しであった。
 
午後より若い人たちとともにやっと墓参りに行けることになった。
 
約束の時間に2~3時間も遅れて出発、
 
私を入れて6名、2台で湖山池の側を走って、
 
墓までの道中、車の中は久しぶり会う学生さんたちと話も盛り上がり楽しいこと。
 
景色は田んぼの稲穂が頭を重たそうに黄金色に垂れ下がり、
 
秋一色という感じであった。
 
その中、私自身、ホッとする気持ちと外出できる喜びとで心は弾んでいた。
 
家から墓までの30分弱で着き、皆さんの手を借りお墓まで上った。
 
墓地は寺の裏に小高い山に造られていて、
 
墓参りをしたいと思っても坂道で男手が三人ほど必要として、
 
思いついて自分で出かけてくるというわけにはいかない。
 
私が寺に行くというときは、これにトイレ介助等のために女性を1名を加えて、
 
最低4名となる。
 
心の中で自分自身(本当に手のかかる人間やなぁ・・・)と考えてしまう。
 
 
でもね、私が自分のことを語ることが、自分の姿を見てもらう事が
 
介護や行政のサービスに他の高齢者、障害者の役立つのであれば
 
良いと思うのである。
 
最近の私の口から出る言葉は、
 
昔の私からとうてい考えられないのですが、
 
しかし、本当に少しずつ素直になっている。
 
だから、人から聞かれて、
 
綺麗ごとを言っているかと思われはしないかと考えたりもするが、
 
今の私が私なのです。
 
皆とお墓に付き、ホッとする間もなく住職が私のところまで来てくださり、
 
全員で拝み、安堵するのと同じく、
 
前日までのもやもやした気持ちが晴れていることに気づいた。
 
嬉しい事で目の前に広がっている景色も自然に身体と一体になり、
 
主人をこの場所にして良かったと思ったのです。
 
そして、自分もこの墓に入るんだと、
 
それを自分で拝むことも少し不思議な気持ちに駆られた。
 
一年前、49日法要で納骨後に家でお墓を思い出し、
 
さびしい所に土の中、石の下に納骨して、墓の中は冷たいであろうと考えたら
 
居ても経ってもいられなくなり、泣いて泣いてしまった。
 
余りの苦しさの上、住職に「お墓から骨を出してくださることはできませんか」
 
と泣きながら頼んだ。
 
今の自分の心と振り返り、年月とともに心もいやされて、和らいで、
 
この様に気持ちも変化するものかと関心もしたのである。
 
私も少し欲を捨てることができそうで、
 
やれやれ、自分自身を認めるということも大変ですね。
 
 
 
 
 
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小柴 千鶴

えがお株式会社代表取締役、NPO法人夢ハウス理事長。 27歳のとき進行性筋ジストロフィー発症との診断を受ける。 さまざまな困難を乗り越えながら「ITであれば障害者でも仕事ができる」と思いたち「小規模作業所夢ハウス」をスタート。

  1. 介護とは

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