久しぶりに日記のバインダーを広げていただき日記を読む。
いつもながら思うのだが、悩みの種は大きく変わらず、
大きく目の前にはだかっている様に思う。
そのことをよく思い、肝に銘じてコミュニケーションを図らなければと痛感。
私は色々な方々が生活上のすべてを支えてくださっている。
沢山の人と交わることになり、その中で皆さんの前で
好い所だけを見せてばかりも居れない。
一人ずつ変えても話も出来ませんし、すると、本質だけ、裏表もなく、
地のまま私でなければ、生活がなりたたない。
しかし、相手の方も人間、様々で摩擦も生じて来て、その為私自身も
非常に敏感に反応しざるをえんようになって来る。
その中で、お互いに少しずつ違和感を覚えはじめて、その場は
気まずくなり、聞いてよいか、話してよいものか、悩んだ末、
その事に触れずにおこうとされるし、してしまう。
私自身も知って欲しい部分と、触れて欲しくない部分があって、
この境界線は目で見えないだけに難しいです。
でも、「聞いてください。話しますから」
話さなければ、聞かなければ、分からないですからね。
私自身も理解者ばかりと勝手に思ってしまったりして、
過信する事もあり、すると様々で大変な目に合う事もある。
分かってくれるだろう、分かっているだろうとは、大きな間違えで、摩擦のもと。
私から言わせてもらうと、五体満足とは言いがかいかも知れないが、
現在、目、耳、鼻、口も動き、同じ人間なのです。
同じ空気を吸って、同じ物を食べて、同じ物を排出する。
だから人間であり、生きていると云うことなのです。
何故、周りの人は錯覚か誤解なのか、触れないことや内気が
美徳のように、その事を守っていらっしゃるように見えてしまう。
私自身、普通に付き合ってくださるのが、一番嬉しいのです。
皆さんが感じたり、思ったりするように私も同じなのです。
普通に生きているのですと伝えたいのです。
それにしても、昔の自分の言葉の文章を読むと、ちょっと面白くなり、
育っている部分も見えたり、育っていない部分も見えて努力がいるという事を
考えてしまった。