ちいちゃんの昔話

ひまわり 2000年7月第71号より

六月中旬、私のうちに突然、我が県の障害福祉課より「今年度障害施策検討会に参加しませんか」という依頼の電話がかかってきた。
私は電話を受け、内容を聞きながら、私でいいの・・・なぜ私に?不思議であった。
でも、びっくりしたものの、すぐに「はい、ありがとうございます、出席させていただきます。」とためらわず返事をしてた。

当日、私は会議の席上、何を、どのように、どこまで伝えたら、伝えられるだろうかと考え、緊張と不安を覚えながら、介助者と福祉タクシーで県庁に出向いた。
介助者がタクシーの中で「人前でしゃべるのも馴れているでしょう」と言われ、「少し慣れたかもしれないが・・・」と背伸びをして言っては見たものの、私の気持ちは行政(お役所)ということだけで、どことなく気持ちを堅くしているのがわかる。プレッシャーは大きかった。

県庁の職員さんに案内されて会場に入る。県庁内にはエレベーター以外に昇降機も備えらりれており、気兼ねなく参加できる、まさにバリヤフリー、少し感動する。

会場には保護者、様々な障害を持つ十七名の当事者が参加されていた。

私は足はもとより、手も不自由なために重い資料はめくることも、移動させることもできない。
せっかく準備された飲み物も自由飲めない。
そのため外出先では、全面介助のような状況になってしまう。残念・・・(家ではお茶などは側に置いてあれば自由に飲めるのです。)
自分では当たり前に振る舞うつもりでも、我慢をすることになれてしまい、介助者が「飲み物で・・・」と言ってしまう。
まだまだ、心のどこかで気兼ねしている私がいることに気づく。
でも、最終的にはしっかりと飲ませていただきました・・・。

会議は前年度の報告、それぞれの立場からの意見、要望等を伝え二時間、あっというまに終りました。

私がこの度、県からのお誘いをためらうことなく参加を決めた理由、常々、障害者の私が不便を感じ、それらの事を周りの人たちに一生懸命に話していても、どこかにかき消えてしまい、(全部ではありませんが)改善されないことへの疑問、幾度となく情けない思いをしてきた。

ありのままの私(重度障害者)を見て頂き、代弁でなく、私の言葉で伝えて、聞いていただくことが一番大切なことかと思うようになりました。

県政、市政に携わっている職員の方々が一生懸命に手を貸してくださり、安心と共に開かれた行政(県政、市政)に少しだけ触れてみて、これぞ、障害者としての社会参加の一歩のように感じた。

重度障害者は確かに日常生活全般にわたり、必要以上に医療、福祉サービスの援助を必要としますが、社会参加をしたいのです。

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小柴 千鶴

えがお株式会社代表取締役、NPO法人夢ハウス理事長。 27歳のとき進行性筋ジストロフィー発症との診断を受ける。 さまざまな困難を乗り越えながら「ITであれば障害者でも仕事ができる」と思いたち「小規模作業所夢ハウス」をスタート。

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