ちいちゃんの昔話

終活の中で

終活、いろいろと勉強中

 二事業の継続、個人の終活、それらをひとつずつかたづけている最中である。

 

自分の終活は、お墓、自分のお金、荷物と、最後には骨までもイメージをする。
私の姉は、1月の6日に亡くなり、その処理がどのようになったのか気になっていた。聞くと、遺体は医学部に検体に出したと。
私自身も、その選択肢もありだと思う。身体のキンジスという病気の研究にも、体の一部が誰かの役立つということも大変いいことである。

 私は、散骨という終焉もありだと考えた。選択肢の中に二つできたということ。

 身の回りのいろいろな宝物、それらはがき、写真、資料等は、どう処理するのが適切か。洋服、お金等はどうでもよい。荷物になる思い出をどう処理するか。自分にとって大切なものでも 周りの者には迷惑だということがある。
私は仏壇を処理。これすら子供のない私、厄介なものとなる。だから、小さな小さな30㎝そこそこの仏壇に縮小してしまった。遺灰であればどうにでも処理できるであろう。
骨は、やはり散骨がいいかな。お墓は子供がないために守れない。
お寺かて、永大供養とはいえない。お寺のビジネスにのせられているような気がしてきた。なぜなら、永大供養を求めても、それをするには寄進をしなければならず、そうして、永大供養料、現在ある墓の処理を頼むのも、思った以上の金額。子供の時には想像たりしえなかった課題。

お寺さんは先だって、「代理人が入りますか?」などという言葉を言ってこられた。それはどういうことなのか。檀家というありかたも絡み、やはりビジネスなのでしょう。なんとも言い難い。この終活に着手し思うことは、奥深く大変な作業だ。

 親からもらった屋敷、山、畑を処理するにはあまりにも大きく、しかし、意味のないことにも思える。住むことのない屋敷は売れたりあげたりできる。容易にできればよいのだが、維持管理など大きなお金がかかる。山、畑を国庫に戻すべきか。
ものやお金では幸せになるとは言い難く、どうしたものか。生きるうえで自分の身体を大切に、元気に維持するには、それなりの努力がいる。それも終活の一つ。

風邪をひかぬように、痩せないように、怪我をしないように、それらを最善の注意をして、食べる物から飲むものまで、それにまつわる買い物、食材、全てに目を凝らす。元気な時には、今のような思いを持って、生活をしていなかった。
現在、一日の水分摂取はいくら?、なぜそこまで神経を使うか。それは、医者に掛かり、入院し、医療費の莫大な金額、介護に対する自己負担が必要だからだ。
それ以上、自分の身体が食べないこと、飲まないことで、かなり衰弱する。若いころと違い、その衰弱は恐ろしいほど早く進み、命を落とす。そうして周りに迷惑をかけないため、自分の責任として維持管理をする。

この度の30キロまで痩せた原因、それは抗生物資が原因。副作用により食事もできなくなり、おしっこも出なくなり、しゃべることもできなかった。周りの人の対応の不備も大きく、危なく命を落とすところだった。しかし、自宅で毎日点滴を打ち、約1カ月半、訪問看護で乗り越える。

その自己負担8万円。いい結果であったと思う。救急車で大病院の治療を受けても検査検査で早い回復にならなかったであろう。もしくは、逆に命を落として退院ということもあったかも。自宅で食べれる量、食べたいもの、時間、量を問わず生活ができたことが生き延びた要因。

病院の先生とやり取りの中に、私は「自己責任、自己選択で退院をします。先生、もう少し検査をしましょう。」と断ると、「もう少し検査をしたほうがいいですよ。」と、あまりしつこく説得しようとするので、「先生、しつこいわ!」と言ったら、「僕はしつこいんです」と返してこられた。周りの看護師さん、スタッフは大笑い。
うちの職員は「入院をしなくてよかったね。」と。まさにその通り。生きて帰ってこないかも。これだけ高額の医療費。自分を維持した。
それに職員に対して見合うお返しができたらいいと考えている。でも、床ずれ一つない。それは介護で間違いを起こさず、圧の分散、清潔、栄養をこころがけた成果だ。

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小柴 千鶴

えがお株式会社代表取締役、NPO法人夢ハウス理事長。 27歳のとき進行性筋ジストロフィー発症との診断を受ける。 さまざまな困難を乗り越えながら「ITであれば障害者でも仕事ができる」と思いたち「小規模作業所夢ハウス」をスタート。

  1. 介護とは

  2. お正月の準備

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