はれ
目が覚めて食事が終われば絵を描く、
そばにテレビが点いていようがまったくみもせず一心不乱にかいた。
描くしかない。
描けたから、描いていたからこそ社会からはじきだされた生活が(刑務所のよう)乗り越えれたのである。
その描き続けていられる数時間は悲しいことも辛いことも忘れて没頭できた。
そばにいるにもかかわらず夫婦の会話もすくないなか、
没頭しすぎ数時間も声をかけることを忘れていることを反省、
ただ、そばで寄り添いお互いの身体の変化を見守るしかなかった。
そのような生活に甘んじていること・・・・、四年あまり。
またしても耐え難い、息苦しいものでしかなく、
家から一歩もでることもない生活、
ほとんど誰の顔も見ない生活、
絶えることにも限界がある。
私わがままなのかもしれないが、いつまでも我慢をしているだけの自分にいらだちを感じていた。
燦々と輝く太陽の下に出たい。
買い物もしたい。
散髪もしたい。
当たり前のことすらもできず、自分があきらめることだけ言い聞かせていることが辛かった。
この生活がいつまでつづくのわからないことが、
先の希望の見えないことが絶望感を膨らませていた。
そのような毎日、ベッドに横になると・・・ため息こそでないものの、
息の詰まるような一日暮れ、
何も考えることのない夜がほっとするようであった。
何が幸せなの・・・と思って自問自答をしていたのもこの頃であった。