ちいちゃんの昔話

インタビュー形式で・・・

面白い企画をしてみた。

ちいゃんにインタビュー形式、今回、幼少期のこと語ってもらう。

質問者は?(誰だろう・・・)

次の質問を投げかけてみた。

幼少期(0歳~7歳)
○どのような子供時代をお過ごしになりましたか?
○どのようなご家庭でしたでしょうか?
○いちばん心に残る思い出はなんですか?

はい。ちょっとだけね。

生まれたときは家は料理屋を営んでいたようですよ。(うる覚え?)
子供の頃から税務職員を見分けて母に報告をしていたようだ。
(人を見抜くのがこの頃に見についた?、その割りに見誤るよね)

母は忙しくて子守はしたことがなかったよう。
(小学五年生のときに病気のちいちゃんをはじめて負ぶって、初めて重たいのねと言った、それはそうでしょ)

仲居さんか数名。
仲居さんの口紅を自分の口に塗り仲居さんかつねられたと母に報告をしたようだ。

子守のおばあさんがついていたそうだ。面長のおばあさん顔がうっすら記憶にある。
おやつにおにぎりをにぎらされていたようだ。

お店が忙しいとおじいちゃん家に数日間預けられていたことも。

ひとりで人形や本でいつまででもおとなしく遊んでいる子供であった。
我慢強いのはこのころ?
父譲り?

毎日のお小遣いが10円、
日課が駄菓子屋へいくこと。
映画館へも一人で行き毎日のように顔パスで入っていたよう。
(三、四歳でお金のとりがなかったのであろう。)

田舎で大人もパーマをかけてない頃、
ちいちゃんはパーマ(わかるかなぁ、松島トモ子さんの幼少の頃の真似をさせられて)をかけていただいていたこと。母の趣味である。

母はいつもきれいな着物を着て自慢の母であったかなぁ。

大きな出来事と言えば、
**市大火災でお店が焼けたこと。
トイレにはまったこと。(以前書いたことがあるかも?)

昨今、テレビで初めてのお使いと言う番組があるが、
ちいちゃんはお使いでなく6歳で大阪までのひとり旅の経験。
その当時で八時間という長旅で結構楽しい思い出があった。
それは、大人の方が声をかけてくださいみかんをくださったりする。

今もって、なぜかしら大阪までの駅の名前を多く記憶をしている。

その経験からか一人で旅をすることは好きである。

このような簡単な質問をしてみました。

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小柴 千鶴

えがお株式会社代表取締役、NPO法人夢ハウス理事長。 27歳のとき進行性筋ジストロフィー発症との診断を受ける。 さまざまな困難を乗り越えながら「ITであれば障害者でも仕事ができる」と思いたち「小規模作業所夢ハウス」をスタート。

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